お客様実例

株式会社エー・アイ・エスさま信念が人一倍強くアツさを持ったエー・アイ・エスの石岡社長。ルーマスの「強み引き出し」に取り組んでいた頃は試練の連続だったようです。どんな風にして自慢の工場へと変化していったのか振り返っていただきました。

三井先生にはボロボロにされました

どうせお前はポンコツなんだから任せるの!

石岡社長

三井先生にはボロボロにされました。人格崩壊もしました…。
でも、残念ながらその後の会社の業績と社員の連帯感は反比例して良くなっていきました。
三井先生に指導を受け始めた頃、私は代表取締役 営業部長でありました。そうです、実権は先代が握っており、売り上げ達成が私の仕事でした。
当時、三井先生から「社長の仕事は」との質問に、数多くの業務を並べた記憶があります。
その時の回答が「社長の仕事は夢を語ることと決めること。もっと社員を信じて社員に任せなさい。どうせお前はポンコツなんだから任せるの!」と言われたことを覚えております。

創業13年目、賃貸していた工場を半年以内に出なければならなくなった時

社員の心をまとめることが最優先であることを教えてくれました

石岡社長

それ以来、私はより一層仕事ができなくなり、会社はよく回るように変わっていきました。
創業13年目、賃貸していた工場を半年以内に出なければならなくなった時のことです。この時は、何から手を付ければよいか困惑している私を珍しく応援してくれました。借り入れ、移転先と物理的なことから始めようとする私に、社員の心をまとめることが最優先であることを教えてくれました。
ひとりひとりの社員の気持ちを捉え、「苦難の移転」を「希望の移転」に変えてしまいました。決まった移転先は築50年を迎える老朽化した工場。誰もが敬遠したくなるような老朽ぶりでした。移転まで3ケ月、繁忙期にもかかわらず社員が交代で錆取りとぺンキ塗りに通い続けてくれました。

三井先生の抜擢人事のセンスは抜群でした

光るものを見つけ出し「やる気にスイッチ」をいれていきます

石岡社長

おかげで今では区から環境対策優良事業所に表彰される自慢の工場に変貌しました。
どこでどのように見ているのかわかりませんが、三井先生の抜擢人事のセンスは抜群でした。社員のネガティブな気持ちの中から、光るものを見つけ出し「やる気にスイッチ」をいれていきます。意外な人物の抜擢のため少し困惑しましたが、抜擢された社員は少しずつ頭角を現し、先代からの古い体質を少しずつ変えていきました。パソコンを使い慣れない現場社員に少しずつ普及させ、情報の共有化をはかり、風通しの良い職場に変えていきました。

『生産性は上げるものではなく、上がるもの。』

中小町工場では、社長が生産性を上げようとしゃかりきになっても上がらない

石岡社長

今では中小企業振興公社のIOTのPRビデオにおまけで登場するほどです。
三井先生はたくさんの名言を吐かれました。ただ、話している本人が「俺、いいこと言っているな。」と話の途中にメモを取り始める珍しい人です。
その中で好きな名言は『生産性は上げるものではなく、上がるもの。』
中小町工場では、社長が生産性を上げようとしゃかりきになっても上がらない。でも社員がその気になれば、自然と上がるものだと。

ルーマスのコメント

初めてエー・アイ・エスの工場に入ったとき、板金工場のイメージが覆されるぐらいの若い社員の集まりでした。しかもイケメンばかりで驚きました。石岡社長は真面目で人のよさそうな振りをして私の前に現れましたが、その目の奥には強い信念を感じたのを思い出します。お祖父ちゃんの作った会社を絶対に続けるんだという覚悟を感じました。

株式会社エー・アイ・エスさま

http://www.seimitsubankin.com/

私たちは、鉄の板に穴を空けたり、折り曲げたり、溶接したりして製品をつくる板金屋です。特に箱物・筐体物には、多くの実績があります。工場には、最新のタレットパンチプレス機EM-2510MⅡや、100tの折り曲げ加工機、ロボットによる溶接機を備えており、8mある天井高のため、大物の製作物にも対応しています。
当社の自慢は、若い職人が、その技に日々磨きをかけているところです。社内の熟練職人から技を受け継ぐのみでなく、2013年より連携を開始した「東京町工場 ものづくりのワ」のメンバー企業ともノウハウを交換し合い、切磋琢磨に励んでいます。確かな技術と柔軟な創造性をもって、多様なニーズに応えられる企業でありたいと願うと同時に、当社で働く従業員にとって、働きがいがあり、良い仲間と出会える職場であることを目指しています。
「実力は、見た目以上。」エー・アイ・エスをよろしくお願いいたします。

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