お客様実例

第一合成株式会社さま ルーマスの強み引き出し研修は、第一合成の中堅社員として若手を引っ張る3名の部長たちも受講中。
研修を受けてどのような気づきや変化があったのか、生の声を聞いてみました。

先代のオーケストラ型経営からの変革、しかし…

会社に残った従業員の理解は得られたんですか?

河野

第一合成は私の父親が創業した企業です。起業当初は従業人が数人という小規模な組織だったため、父はずっとオーケストラ型経営と言いますか、1人でタクトを振って全体を動かすタイプの経営者でした。従業員が少ないうちはそのやり方でも会社として成り立っていましたが、私が継承した時点ではすでにある程度の規模にまで成長していたので、まず会社としてきちんとした組織を作り上げる必要があると考えたんです。それまでは従業員が所属する部署も明確に分かれていなかったので、明確化して責任を持たせて、各自が考えて仕事を進められるような流れを作りたかった。自分としては未来志向な考えだと思っていたのですが、なかなか受け入れられずに結果的に1/3の従業員が退職してしまいました。

若手のためを思った決断は理解を得られず、
問題課題は次々と

会社に残った従業員の理解は得られたんですか?

河野

当時の私はこれから第一合成を担う20代?30代の人間のために決断をしたつもりだったけど、正直理解はされていませんでした。仕事がキツいとか、仕事量が増えたとか、不満を募らせる結果になってしまいました。

多くの従業員が抜けたことで、それまで若手だった自分が急に古株になってしまったんです。担当するお客さまが一気に増えて、考える余裕もなく日々を過ごしていました。

そんな状況をどのように改善したのでしょうか?

河野

まず、積極的に人員を増やして個々の仕事の負担を減らしました。そして、旧来のように言われた仕事だけをやるのではなく、「その仕事は本当に利益が出ているのか?」「第一合成がやるべき仕事なのか?」といったことを考えるように従業員に伝えることで、徐々に理解者を増やしていきました。ただ、会社という場所は一つの問題が解決しても、すぐに新しい問題が出てくるわけで、三井さんと出会うまでは問題を根本的に解決するということが難しい状況でした。

三井とはどのように出会ったのでしょうか?

河野

2011年に東京都の中小企業振興公社の担当者が引き合わせてくれたんです。「多摩地区で三井という男が『強み引き出し研修』をやるからぜひ来てください」と。三井さんは研修後の懇親会でいきなり「あなたはセンターにいるべき人だから、席も端に座っちゃいけない。AKBの前田敦子になりなさい」と私に言ってきたんですよ。初対面なのに、本当に意味がわからなくて(笑)。

ただ、当時の私は経営者としても自信をなくしていた時期でした。どこに行っても社長らしくないと言われていましたし、下手に目立つと社内でも批判の的になってしまう。やることなすことが180度正反対の意味に捉えられてしまうことも多くて、人に対して不信感だらけの状況でした。最初は懐疑的でしたが、親しくしていた会社の社長も研修を受けていたので、話を聞いてみようと。

半信半疑の強み引き出し研修でヘトヘト

「強み引き出し研修」はどのような形式で行われるのですか?

河野

月2回、1回3時間の濃い内容です。本当に人と人のぶつかり合いなので、私も本音をぶつけたり、自分にガッカリしたりすることもありました。終わってからはヘトヘトになるんです。

従来の経営コンサルとは違った基礎工事のようなコンサル

「財務諸表を見ながら経営戦略を考えるとか、そういったこともしますか?

河野

いえ、まったく。いわゆる経営コンサルとは違うもので、もっと、「経営」を意識的に行っていくための土台をしっかりと固める基礎工事のようなものだと思っていただいた方がよいかもしれませんね。

「常に河野良子であれ」が自由度をもたらした

なるほど、一般的なイメージの経営コンサルや人材育成とは異なるものなんですね。

河野

そうですね。経営者に必要な意識を植え付けると言いますか。三井さんと出会った頃は、私の子どもも幼くて育児と仕事の両立という点で外からの目を気にしていました。海外出張にも出ていると、少なからず批判されたり。一度、三井さんに「子育てがあるのに日々の仕事に出張までして、これからどうなるのか本当に不安なんです」と泣き言を言ったら、「そんなこと僕に言われても困りますよ、自分で考えてください」って返されまして。なんてヒドい人なんだと(笑)。そこから何年か経った今思うのは、当時の私は理想的な母親像にがんじがらめになっていたなと。三井さんは冗談やキツイ言葉も含めて、遠回しに「常に河野良子であれ」と言ってくれていたんだと思います。その発想の転換により、自由度が高くなった気がします。

そんな社長の変化を設楽さんは感じましたか?

設楽

それは多分、多くの従業員が感じたと思います。話している内容はそれほど変わっていないけれど、社長が自由になったことで社内が自由な風土になったと言いますか。今思えば、会社自体が社長をそのまま反映していて、それまでは自由がない状態だったんです。萎縮した組織でした。

河野

以前、従業員から「社長は自分たちの話をなにも聞いてくれない」と言われたことが痛烈に印象に残っています。本当にそんなつもりはなかったのですごくショックでしたし、私は独りよがりだったんじゃないかと省みるようになりました。

社内の風土が変わったとは大きな変化ですね。

河野

これまで私は「女性経営者」として注目されがちでしたが、三井さんは一人の経営者として見てくれたことも大きいですね。以前からイメージは持っていましたが、周りの目が怖くて自分の中で温めていた海外展開も積極的にするようになりました。今はアメリとヨーロッパの学会で文化財に関わる製品を販売しています。父の代からあった製品ですが、そのまま持っていっても通用しないのでどうブランディングして海外に伝えるかを考えて展開しています。

昨今は企業にも社会的な責任が求められる時代です。それについて従業員ともよく話しますし、皆以前よりもしっかりと自分の考えを私に言ってくれるようになり、大きな変化を感じます。文化財の保存や森林事業に関わる企業としては、クライアントから言われたことでも社会全体で見たときにNOであればNOとしっかり伝える。目の前の売上だけを追いかけるのではなく、社会に対して本当の利益になる第一合成がやるべき仕事を考えていきたいです。そして、今社内がそういう風潮になりつつあることを実感しています。

河野社長と設楽部長の話を聞く限り、笑いあり涙ありの強み引き出し研修ですが、
皆さんはどんな印象を持たれましたか?

自分が今思っていること、考えていることを捨てろ

生部 技術部長

三井さんからは最初「自分が今思っていること、考えていることを捨てろ」と言われました。でも、そんなこと簡単にはできないですよね。私は入社して文化財部門と工業部門に在籍していましたが、そこで身につけた経験則が会社経営に役立つと限らないので、捨てろということでした。それでもやっぱり、急にそんなことを言われても最初はわからないんですよ、意味が(笑)。

三井さんいわく、「君は話をするのもプレゼンするのも企画書を書くのも上手い。だからそれを全部やめなさい」とのことでした。「自分は一体何をすればいいのか?」という状態を作っていく、いわば滝行みたいなものですね。たまに流木が落ちてくるんですけれど(笑)。

必死にやったことを全否定、だがそれは

平井 製造部長

私はこのメンバーで研修を受ける2年ほど前にも受けていたことがあるんです。当時は「なぜこの人が会社に来てるんだろう?」と思ってバリアを張っていました。研修では今まで私がやってきたことに対して「本当にそれはやるべきだったのか?」と聞いてくるんです。頑張ってやったことを「そんなことはやらなくてよかった。部下に任せればいい」と否定されると、当然ながら「こっちは必死に頑張ってきたのに」という感情が出てくるんです。

でも、その教えは「なんでもかんでも私がやる必要はない」ということなんですね。今はより広い範囲で仕事を見られるようになり、安心して部下に任せられるようになりました。

不思議と今は上手くまわっている

山上営業部長

僕は散々「下手くそ!」とか「やり方がダメだ!」とか言われてきたタイプです(笑)。
話す内容もプレゼンの発表も毎回三井さんに突っ込まれて。でも、不思議と今は案件が上手く回っているんです。僕も平井部長と同じで、何でも自分でやっちゃうタイプなんです。部下の代わりに僕がやってしまうと、それは部下の手柄にならず僕の手柄になってしまうんです。

三井さんは僕に「頼りがいがある」と言ってくれますが、そんな僕から見ても設楽部長はすごいですよね。嫌いな人は誰もいないし、お客さまにもファンがいるくらいですから。ズルいですよ(笑)。そんな設楽さんの才能を見抜いた三井さんは、ただの怪しいおっさんではなかったんです(笑)。

ルーマスのコメント

私は「社員研修」や「人材育成」は社長や取締役の仕事だと思っています。講師が表面上のノウハウを教えることもありますが、「本当に人材を育てるのは社長だ」というのが私の方針です。河野社長は研修当初、組織づくりを実行したいと考えていましたが、研修を続けるうちに徐々に問題が自分にあることに気づくようになりました。それはスゴいことなんですよ。自分が変わらなければいけないことにと気づく社長は10人に1人か2人なんです。みんな自分のことは棚に上げて、「社員がなぜ育たないのか?」と思ってる。

目先の売上だけにとらわれず、企業として第一合成がやるべき仕事を見極めるという河野社長の姿勢からは、私も多くを学びました。私よりもずいぶん年下ですけれど、本当に尊敬している経営者です。自分の代だけで終わるのではなく、100年続く企業を目指す経営者と一緒に仕事がしたいんです。

そして、設楽部長には人徳があります。出会った当初の彼は自分で営業が得意と思っていたようですが、私は開口一番「そんなスキルは忘れなさい」と(笑)。「設楽さんについていけば大丈夫だ」みたいな感じで、部下から慕われていたから、その人徳で勝負しなさいと。今では河野社長も設楽部長も私からすれば戦友みたいなものです(笑)。

ここに来るまでにはそれなりに長い期間を要しましたが、この仕事を続けてきた甲斐がありましたね。

第一合成株式会社

https://www.daiichigosei.co.jp/

第一合成はテンバコ、ダンプラ箱製造のプロフェッショナルとして静電気対策などの技術を極めて参りました。また、その利便性からテンバコが埋蔵文化財の運搬・保管の現場で用いられるようになり、文化財保護の事業においても実績を積んできました。そして新たに森林管理・育成部門を立ち上げ、さらに幅を広げた事業を展開しています。この一見して関連の無いようにみえる3つの分野を繋いでいるのは、社名にもなっている「可能性を掛けあわせて成すオンリーワン企業(第一)」という創業者の理念です。

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